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青森地方裁判所 昭和45年(ワ)67号 判決 1976年1月27日

原告 沼山長太郎

右訴訟代理人弁護士 祝部啓一

被告 青森県

右代表者知事 竹内俊吉

右指定代理人 宮北登

<ほか六名>

主文

被告は原告に対し、金四〇万円およびこれに対する昭和四五年三月七日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その一を原告の、その余を被告の各負担とする。この判決は、原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金四一万七〇六九円およびこれに対する昭和四五年三月七日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決ならびに担保を条件とする仮執行免脱の宣言。

第二請求原因

一  原告は、昭和四四年一〇月一七日、別紙(一)記載の暴行および脅迫の各被疑事実(以下、本件暴行脅迫事件という)につき、青森県七戸警察署司法警察員が請求し野辺地簡易裁判所裁判官が発付した逮捕状により逮捕され、引き続き同月二〇日から同月二八日まで勾留された(以下、第一次逮捕勾留という。)。次いで、同日右被疑事実につき釈放されると同時に沼山石松に対する別紙(二)記載の殺人および死体遺棄の各被疑事実(以下、本件殺人事件という。)につき、前記司法警察員が請求し青森地方裁判所裁判官が発付した逮捕状により逮捕され、引き続き同年一〇月三一日から一一月一九日まで勾留された(以下、第二次逮捕勾留という。)。

二  右一連の逮捕勾留の違法性

1  第一次逮捕勾留の違法性

(一) 第一次逮捕勾留は、その身柄拘束を当初から専ら本件殺人事件の捜査に利用する意図の下に、偶々、令状を請求するに足る証拠資料を収集し得た本件暴行脅迫事件に藉口してなされたものであるから違法な別件逮捕勾留である。

(二) 右のことは、原告が今日に至るまで本件暴行脅迫事件につき公判請求は勿論略式命令の請求すらなされていないこと、右事件の聞込が本件殺人事件発生後になされたことおよび第一次逮捕勾留中に本件殺人事件につき長時間にわたる取調がなされたことなどからも推認できる。

2  第二次逮捕勾留の違法性

第二次逮捕勾留は、第一次逮捕勾留中に原告を本件殺人事件について取調をなし、その結果得られた供述調書を主要な証拠資料としてなされたものであるが、以下に述べるように右供述調書は証拠能力を有しないから結局第二次逮捕勾留は違法である。

(一) 第一次逮捕勾留は前記のように違法な別件逮捕勾留であるから、右逮捕勾留中の取調に基いて作成された本件殺人事件に関する原告の供述調書は違法な手続を前提として収集されたものとして証拠能力を有しない。

(二) 第一次逮捕勾留中における本件殺人事件についての取調には左記の違法がある。従って、右違法取調の結果得られた原告の本件殺人事件についての供述調書はすべて証拠能力を有しない。

(1) 強制捜査

ある被疑事実により逮捕勾留されている被疑者が、刑事訴訟法一九八条一項に基づく捜査官の出頭要求や取調を拒否し、あるいは出頭後自己の意思により退去し得ないのは原則として逮捕勾留の基礎となっている被疑事実につき取調を受ける場合に限られ、右事実と関係のない被疑事実について取調を受ける場合には右のような取調受忍義務はなく、在宅の被疑者と同様捜査官の出頭要求を拒みあるいは出頭後何時でも退去することができるのであり、また、捜査官は身柄拘束中の被疑者に対し逮捕勾留の基礎となっていない事実につき取調をなす場合は取調受忍義務のないことを告知しなければならない、と解すべきである。

これを本件についてみると、捜査官は原告を本件殺人事件について取調べる際原告に対し取調受忍義務のないことを告知しておらず、また、その取調状況も原告が出頭後何時でも退去して自己の居房に引き上げ得る状況にはなかった。このことは昭和四四年一〇月二四日、原告代理人が原告との接見を求めた際警察官の立会のうえで接見が許されたことからも窺うことができる。従って、第一次逮捕勾留中における本件殺人事件についての取調は実質的には強制捜査であって違法なものといわざるを得ない。

(2) 自白の強要

捜査官は、昭和四四年一〇月一七日原告を逮捕して以来、連日、午前八時頃から同一二時頃までおよび午後一時頃から同五時三〇分頃までの長時間原告を取調べ、しかもその方法は鉛筆を原告の喉笛に突き付けたり、歯ぎしりしあるいは酒の臭いをさせて「さあ殺したといえ。」の一点張りで自白を強要し、原告がこれを否認すると原告の胸の辺りを手で突き原告の頭部を取調室の壁に打ちつけるなど強圧的なものであった。その結果、原告は同年一〇月二三日に至りこれ以上否認すればいかなる危害を加えられるかもしれないと畏怖して沼山石松を殺害した旨の虚偽の自白をなすに至った。従って、以上のような強圧的取調の結果作成された第一次逮捕勾留中における原告の本件殺人事件についての供述調書は任意性を欠く。

三  新聞社に対する発表の違法性と捜査機関の過失

1  捜査官は、右一連の逮捕勾留中に東奥日報社を含む新聞記者に対し原告が石松殺人事件の真犯人であるかの如く発表したうえ、原告を釈放した後も右新聞記者らに対し、「原告が本件殺人事件の真犯人と考えられるが証拠が十分でないため公判維持が不可能であるので釈放したに過ぎない。」との、あるいは「警察としては真犯人であるという心理状態を汲みとっている。これは自供の内容その他でよく出ている。今後も重要容疑者として取調を続ける。七戸署に設けた特捜本部は解散しない。」との発表をなした。

その結果、原告が本件殺人事件の真犯人であるかの如き新聞報道がなされ、一般人をしてその旨誤信させるに至った。

2  右発表された内容は真実に反し、且つ、客観的に違法性は大である。

3  捜査機関は、右発表した各内容が真実であることの証明がなく、しかも、右内容が真実であると信ずるについて相当の理由がないことおよび客観的に違法性が大であることを容易に認識しえた。

従って、捜査機関は過失により違法な発表をなし原告の名誉を侵害したものである。

四  責任原因

本件暴行脅迫事件および本件殺人事件の捜査に従事した司法警察職員は被告の公権力の行使にあたる公務員である。

よって、被告は原告に対し国家賠償法一条一項に基づき本件各不法行為により原告に生じた損害を賠償する責任がある。なお、第一次、第二次各勾留は、法令上は検察官の請求によりなされるものであるが、右司法警察職員の違法な捜査の結果得られた捜査資料に基づきなされたものであるから右各勾留についても被告県に責任がある。

五  損害 合計 金四一万七〇六九円

1逸失利益 金一〇万八二五〇円

(一)  原告は、前記違法な逮捕勾留およびその間の違法な取調の結果反応性うつ病に罹患し、昭和四四年一一月二〇日から同年一二月五日まで十和田市立病院に入院治療の止むなきに至り、前記逮捕勾留期間を併せ五〇日間にわたり労働に従事することができなかった。

(二)  原告の昭和四三年度における所得は金七七万九四四〇円、一日平均金二一六五円であるから、五〇日間で金一〇万八二五〇円となる。原告は本件不法行為により右の得べかりし利益を喪失した。

2 入院治療費 金八八一九円

前記入院治療費として右金額を支出した。

3 慰藉料 金三〇万円

原告は本件各不法行為により多大の精神的苦痛を被った。右苦痛を慰藉するには少くとも金三〇万円を下らない。

六  結論

よって、原告は被告に対し、金四一万七〇六九円およびこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和四五年三月七日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三請求原因に対する認否および被告の主張

一  請求原因に対する認否

1  請求原因第一項記載の事実は認める。

2  同第二項の1(一)記載の事実は否認する。

3  同第二項の1(二)記載の事実のうち、原告が本件暴行脅迫事件につき起訴されていないこと、および第一次逮捕勾留中に原告を本件殺人事件につき取調べた事実のあることを認め、その余の事実は否認する。

4  同第二項の2前文は争う。

5  同第二項の2(一)、(二)記載の事実はすべて争う。第一次逮捕勾留中における本件殺人事件についての取調は、後記のように、本件暴行脅迫事件の捜査の合間に任意捜査として行われたものであり、その際暴行脅迫等の強制的手段は一切用いられてない。

6  同第三項記載の事実は否認する。

7  同第四項記載の事実は認める。

8  同第五項記載の事実は否認する。

二  被告の主張

1  第一次逮捕勾留の適法性

(一) 原告の逮捕

青森県警察本部司法警察員は、昭和四四年七月三日本件暴行脅迫事件につき聞込みを得たので、被害者らから事情聴取等の捜査をなしたところ、次のような事情が判明した。

(1) 原告の本件暴行脅迫事件についての嫌疑はいずれも濃厚であった。

(2) 本件暴行事件は同一人に対し繰り返し加えられたもので悪質である。

(3) 本件脅迫事件には関係者も多く、証拠品や複雑な背後関係についての捜査も必要であり、且つ、右捜査には相当の時間を要すると考えられた。

(4) 原告は、気性が激しく衝動的で極めて短気であり、自分の気に合わないことがあれば誰彼の見境なく暴力を振い、些細なことに兇暴性を発揮して暴力を加える性情を有していた。例えば、昭和四二年二月頃長男の嫁沼山かつゑに対し煙草の乾燥のことから殺してやると首を締めたうえ殴る蹴るの暴行を加えたのを始め、往時、妻サンコ、母親ツル、異母弟長次郎、妹ユキ、叔父市之助らに対しても同様の暴行を加えたことがある。

(5) 本件暴行脅迫事件の関係人は右(4)記載のような事情から原告を畏怖し、事実を警察に知らせることや捜査に協力することによって原告から仕返しをされることを極度に怖れていた。

(6) 昭和四四年一〇月一七日本件暴行脅迫事件につき原告を取調べたところ右被疑事実を否認していた。

以上のように、原告の容疑は濃厚であり、且つ、事案の真相究明には更に多くの捜査が必要であったが、任意捜査によっては証拠隠滅の虞れや、原告が事情聴取に応じた関係人らを難詰したり御礼参りをしたりする虞れが大であったので原告を逮捕して捜査する必要があると判断し逮捕状の発付を受けて適法に原告を逮捕した。

(二) 原告の勾留

(1) 更に、原告には前記各事情から本件暴行脅迫事件につき証拠隠滅の虞れが認められたので、青森地方検察庁検察官が勾留請求をなし、勾留状の発付を得て同月二〇日原告を適法に勾留した。

(2) 右勾留後参考人らの取調べが進むにつれて、原告は同月二一日頃から一部自供をはじめたが、同人はあくまでも事実を隠そうと虚偽の供述をなすことも多々あった。そこで関係者に対する捜査をなしつつこれにより原告の自供を得る状態で、同人が全面自供をなすに至ったのは同月二六日になってからであった。

しかし、右供述の裏付捜査をなしたところなお不明な点があったのでこれを解明するため同月二八日まで勾留が継続された。

(三) 以上のように第一次逮捕勾留はいずれもその理由があり、また、右期間中被疑事実につき実質的な捜査がなされているのであり原告主張のように本件殺人事件についての自白強要のためにのみ身柄拘束をしたものではない。

従って第一次逮捕勾留は適法なものである。

2  第二次逮捕勾留の適法性

(一) 本件殺人事件の発生

(1) 昭和四四年六月一〇日、沼山石松(以下、石松という。)は、原告方の田植の手伝に行き同日の作業終了後他の手伝の農夫とともに原告方の田植場所付近の農道で飲酒しそのまま寝こんでしまったが、それ以後行方不明となった。

(2) 翌一一日午前七時三〇分頃、右田植場所から約七〇〇メートル離れた小川原湖水中に石松が前日乗っていた単車が発見された。

(3) 同月二七日午前九時四五分頃、青森県上北郡天間林村赤川北岸の土中から石松の死体が発見された。

(二) 捜査の概要

青森県警察本部は同県七戸警察署に同県警察本部刑事部長を責任者とする沼山石松殺害事件特別捜査本部(以下、特捜班という。)を設置し捜査を開始したところ、次の各事実が判明した。

(1) 被害者石松の死体を解剖した結果死因は窒息死であること、右側頭部に鉈、スコップ等の鈍器で殴打されて生じたと思われる長さ一四センチメートル、深さ八センチメートルの割創があり、肺には多量の泥水を吸飲していた。

(2) 原告方の田植に従事した三〇名から事情を聴取し現場付近を捜索したが犯行解明の端緒となるものは得られなかった。しかし、犯行当夜(同年六月一〇日)における死体発見場所付近の通行人六七名を取調べ同人らの当夜のアリバイを調査したところ、容疑者として原告ほか三名が浮んだ。

(3) 原告の容疑

(イ) 昭和四四年六月二七日原告から事件当夜のアリバイを聴取したところ、同人は当夜は在宅していた旨供述していたが、参考人からは原告が事件当夜田植場所の水田を見廻っていたとの供述が得られた。

そこで同年七月一二日原告から再度事情を聴取したところ、同人は同年六月一〇日午後一〇時から田に水を入れに行き、翌一一日午前零時から同五時頃まで農道上に停めておいた軽四輪車の中で寝ていた旨供述するに至った。即ち、原告は当初からアリバイ工作をしていた。

(ロ) 原告の右水田見廻り後の帰宅時刻につき同人の供述と日撃者のそれとが食い違い、また、右見廻りについて原告が部落民に語った内容と原告の家族が話している内容が異った。更に、右帰宅時刻につき、原告の妻の供述が石松の葬儀当日とその一週間後の石松の法要の日とで異っていた。

(ハ) 原告は右のような時間についての供述の食い違いについて部落民の一人に対し「そこまでかかと打合せしていなかった。」と話していた。

(ニ) 原告は土場川土地改良区理事の選挙に立候補して落選したことがあるが、その際石松が原告の甥であるにも拘らず原告を応援せず、また、右落選の結果右改良区の土地の配分について悪い田が配分されたことから、石松に恨みを抱いていたほか、平素から同人と交際していなかった。

(ホ) 原告は左利きである。

(ヘ) 原告には、石松が行方不明になった直後の親類、部落民による捜索の間および石松の死体発見後の挙動に不審な点があった。

(ト) 原告は第一次逮捕勾留中の昭和四四年一〇月二三日沼山石松に対する殺人事件につき、自己の犯行であることを自白し、更に翌二四日には犯行の動機手段等についても具体的に自白するに至った。

右各自白には犯人でなければ知り得ない事実が多々含まれていた。即ち、犯行現場、死体の創傷の部位、被害者の所持品、単車を捨てた方法、死体の運搬方法、死体を埋めた状況、死体の上衣がまくれズボンや股引きが下げられ背中から大腿部まで露出されていた理由、被害者が体内に泥土を吸い込んでいた理由、犯行時の行動等々いずれもそれまでの捜査結果と合致し、十分真実性が認められた。

(4) 原告の逮捕勾留

以上のような捜査の結果、原告には本件殺人事件の嫌疑があり、且つ、罪証隠滅の虞れが認められたので、所定の手続に則り逮捕状、次いで勾留状の各発付を得て原告を逮捕し、引き続き勾留したものである。

従って、第二次逮捕勾留手続には何ら違法な点はない。

3  第一次逮捕勾留中における本件殺人事件についての取調の適法性

(一) 原告には前項(二)(3)の(イ)ないし(ヘ)記載のように本件殺人事件についての容疑があったので、第一次逮捕勾留中に本件暴行脅迫事件の取調の合間を利用して右殺人事件について取調をなした。

(二) 右取調の状況は別紙(三)記載のとおりであって当初は釈明を求めるという形で、その後も事情聴取を兼ね本件暴行脅迫事件の捜査に付随し、これと併行して、あく迄もその限度において部分的、断片的に取調べたにすぎない。

(三) 捜査官は、本件殺人事件につき取調べる場合には、その都度、原告に対し容疑事実および自己の意思に反して供述する必要のないことを告知しており、また、原告自身も告知された内容を認めてこれに応じて供述していた。そして右取調の際、原告の主張するような強制的取調のなかったことは勿論、原告は本件殺人事件について任意取調を受けることを承諾していた。なお、専門的教育、組織化の進んだ現代科学捜査を建前とする捜査官が原告主張のような方法で取調をなすということは常識的にも到底考えられない。このことは原告が第二次勾留の勾留質問において担当裁判官から殺人の自供をなすについて暴行や強制があったかを尋ねられた際「全くありません。」と答えているところからも明白である。

(四) 以上のとおり、原告に対する第一次逮捕勾留中における本件殺人事件についての取調は任意捜査であり、且つ、強制等の伴わない状況でなされたものであるから何ら違法ではなく、従ってこれによって作成された供述調書が証拠能力を欠くということはない。

4  逮捕勾留と処分結果の関係

(一) 原告に対し、本件暴行脅迫事件については昭和四七年一月一八日起訴猶予処分、本件殺人事件のうち死体遺棄被疑事実については同年六月一〇日時効完成により不起訴処分、殺人被疑事実については同年一一月七日嫌疑不十分で不起訴処分がそれぞれなされている。

右の処分結果については、本件殺人事件に関する原告の供述には十分信用性、任意性があるが、右供述を裏付けるに足る物証の収集が極めて困難であったことから、重大な犯罪だけに刑事訴訟法の精神に則り慎重を期して起訴を見送ったものと考えられる。

(二) しかし、右のことから原告に対する一連の逮捕勾留が違法であり捜査機関に過失があったということはできない。

即ち、

(1) 被疑者を逮捕しまたは勾留する場合に必要とされる犯罪の嫌疑の程度としては、公訴提起や有罪判決をなすに足る程度の嫌疑のあることまでも要求されることはなく、一応犯罪の嫌疑が肯認できる程度で足りると解されている。そして、逮捕勾留当時右のような嫌疑があった以上その後起訴猶予あるいは不起訴処分となったとしても右逮捕勾留が違法となるわけではなく、また、捜査機関に過失があるということもできない。

5  報道機関に対する発表の適法性

(一) 発表の内容

(1) 七戸警察署長は、昭和四四年一〇月一七日本件暴行脅迫事件で原告を逮捕した際、来署した報道記者数名の質問に答えて、「殺人事件に関係があるかどうか明らかでない。」と発表した。

(2) また、同署長は本件殺人事件で原告を逮捕した際、来署した報道記者数名に対して、「犯行は自供している。」と発表した。

(3) 青森県警察本部阿部刑事部長は、昭和四四年一一月一九日原告が釈放された後、本件殺人事件について取材にきた報道記者数名に対し、個別的に「本人の自供のあったことや、情況証拠からみて重要容疑者としての線が濃いので今後とも継続捜査して明らかにしたい。」旨事実と今後の方針を述べた。

(二) 右のような各発表は同種の犯罪事件防止という公益を図る目的からなされ、内容的にも主として事実のみを発表したもので何ら違法性はない。

(三) なお、一般に捜査官の犯罪事件に関する発表行為は公共の利害に関する事項について公益を図ることを目的としてなされるものであるから、捜査官が犯罪の捜査に当って通常払うべき注意を怠らず証拠の収集に努め周到なる調査を遂げた結果得られた信念の下になした発表である限りその発表が仮に結果において客観的事実と相違していた場合でも捜査の動的発展的性格に鑑みると捜査官の過失といえないことはいうまでもない。

第四証拠関係≪省略≫

理由

第一原告の逮捕勾留

請求原因第一項記載の事実は当事者間に争いがない。

第二本件殺人事件の発生

≪証拠省略≫によると、被告の主張第2項の(一)記載の各事実を認めることができ、この認定を左右するに足る証拠はない。

第三本件殺人事件の捜査の概要

≪証拠省略≫によると次の事実を認めることができる。

一  特捜班の設置

青森県警察本部は、沼山石松の単車を発見して以来同人は殺害された疑いがあるとして捜査をしていたが、同人の死体発見により殺人事件であると断定し、昭和四四年六月二七日同県七戸警察署に同県警察本部阿部刑事部長を本部長、七戸警察署長和田昌治を副本部長、同県警察本部捜査第一課長谷川喜八郎警部を捜査主任官とし総勢三〇名で編成された特捜班を設置して、被害者石松の死体解剖、物的証拠の収集、聞込捜査などを中心に本格的に捜査を開始した。

なお、その後特捜班は同年七月一日、同月一三日、同年九月二日の三次に亘って縮少され、同日以降は八名で編成されるに至った。

二  右捜査結果の概要

1  被害者石松の死体解剖の結果次の事実が判明した。

(一) 死因は泥水を吸引したことによる窒息死である。

(二) 犯行場所は、死体が泥水を吸引していたことから、水田または川のある場所と考えられる。

(三) 死体の右後頭部付近が陥没していたことから兇器は鉈のようなものであり、且つ、加害者は左利きであると推認される。

2  死体発見場所から考えて、死体は自動車で運ばれたと推認されるから、犯人は自動車運転技能を有し、また、土地の事情にも詳しい(所謂土地かんがある)と考えられた。

3(一)  石松は昭和四四年六月一〇日原告方の田植の手伝に行き、作業終了後その場で午後八時頃まで飲酒しその後行方不明になったものと考えられた。

(二)  右田植終了後最後まで飲酒していたのは土橋兼雄、土橋勝治、土橋幸次郎の三名であった。

4  本件殺人事件の犯行時刻は、右飲酒後である同日午後八時以降、翌朝の夜明前である同月一一日午前三時頃までの間であると推定された(以下、犯行推定時刻という。)。

5  同月一〇日午後八時以降に犯行場所であることの可能性ある右田植場所付近を通行したと思われる者は右土橋ら三名および原告を含めて七〇名位であった。

6  右七〇名の犯行推定時刻のアリバイを捜査したところ、昭和四四年九月一七日当時アリバイが成立しなかったのは右土橋ら三名および原告であったが、同月二一日右土橋ら三名のアリバイが成立し、結局、原告のみアリバイが成立しなかった。

7  この間物的証拠を収集すべく努力したが、殆んど収集することはできなかった。

三  原告に対する容疑

特捜班は、石松が原告方の田植の手伝後行方不明になったことや原告が右七〇名中に含まれていたことなどから原告につき捜査をなした。その経過および原告の容疑は次のとおりである。

1(一)  昭和四四年六月二八日原告から、田植後の田の水が心配になったので、見廻りのため同月一一日午前零時頃自動車で家を出て同三〇分頃田植場所に到着し、一時間位水加減をみてその後自動車に戻りそのまま寝込んだが、同日午前五時頃目を覚まし帰宅したという趣旨の供述が得られた。

(二)  同年七月一日沼山石松の家族から、原告は非常に気性が激しく、二〇年位前に実弟長次郎を柱に縛りつけ髪を切ったことがあること、原告は左利きであるとの事実を聞き込んだ。

(三)  同年七月二日沼山助内から、土場川土地改良区は昭和三五年から開田工事を開始し、完成した部分から逐次土地の配分をしているが、このような場合決って改良区の代議員が良質の水田の割当を受けていたこと、原告は昭和四二年の右改良区の代議員選挙に立候補したが石松を含む親類関係者が原告を支持しなかったこともあった故か落選したこと、その後原告には悪い土質の水田が石松らには良い土質の水田が配分されており、石松はよく自分の田の自慢をしていたこと、以上のようなことから原告は石松ら親類との交際をしないようになり同人らを恨んでいたという趣旨の情報が得られた。

(四)  同年七月三日沼山サワから、被告の主張1(一)(4)掲記のような暴行の事実があった旨、および本件殺人事件発生後の原告の行動に不審な点が多く、右事件の犯人は原告と思っているとの情報が得られた。

(五)  同年七月四日東北町甲地部落の黒田商店主人から、原告方の田植の際石松は昼食時に他の手伝人のいる前で「こんなおかず。」といって原告に恥をかかせたとの情報が得られた。

(六)  同年七月五日木村義雄から、同年七月二日原告と昼食を一緒にしたが、その際同人は「俺は警察に怪しまれている。」「いつ警察に呼ばれてもよい。」「犯人は三人組だと思う。犯人は必ず現場を見にくるもんだ。」などと石松殺人事件について心配している気持を打明けられたとの情報が得られた。

(七)  同年七月九日沼山サワから、同年六月一一日午前三時三〇分頃原告が自動車を運転して田の方から坂道を上って来るのが見えたこと、同年六月二九日の石松の葬式の際、手伝に行っていたサワの娘みよゑは、原告の妻サンコから原告が同年六月一〇日午後一〇時頃自動車で家を出て一二時頃帰宅したとの話を聞いたが、サワは同年七月五日石松宅で右サンコから原告が同年六月一一日午前零時頃家を出て同日午前五時三〇分頃帰宅したという、みよゑが聞いたのと異なる話を聞いたという趣旨の供述が得られた。

(八)  原告は自動車運転免許証の交付は受けていないが運転技能を有し、軽四輪貨物自動車、耕耘機、バイクを各一台所有しており、また、土地の事情にも詳しかった。

(九)  原告に前科はなかった。

2  特捜班は右収集した捜査資料を総合検討した結果、次の事実即ち、原告は、

(一) 土場川土地改良区代議員選挙のことで石松に対して恨みを持っており、本件殺人事件につき動機があると考えられる。

(二) 犯行推定時刻に軽四輪車に乗って犯行推定場所付近に行っている。

(三) 左利きで、且つ、従来から粗暴な傾向を有していた。

(四) 自動車運転技能を有し、土地の事情にも詳しい。

(五) 当初水田の見廻りに行ったことを隠しており、且つ、右見廻りから帰宅した時刻に関してアリバイ工作をしていたと思われる。

(六) 本件犯行推定時刻のアリバイが成立しない。

の各事実が認められ、且つ、アリバイの成立しないのは原告のみであるとして、原告が本件殺人事件の有力な容疑者であると考えるに至った。

以上の認定を左右するに足る証拠はない。

第四第一次逮捕勾留に至る経緯

≪証拠省略≫によると次の事実を認めることができる。

一  本件暴行事件

1  特捜班は、本件殺人事件の捜査中昭和四四年七月三日沼山サワから本件暴行事件について聞込を得た。そこで同月一〇日被害者細井末一郎から事情を聴取したところ、右のような暴行の被害を受けた旨の供述が得られ、翌一一日沼山助内および上野卓から別紙(一)(1)記載の、また、甲地千代吉から同別紙(2)記載の各暴行事件につき、それぞれ右細井の供述を裏付ける供述が得られた。

2  そこで特捜班は右各被疑事実につき原告に対する逮捕状の請求をなし、右同日その発付を受けたが(有効期間一週間)、結局右逮捕状は執行されないまま有効期間を経過し、失効した。その後、第一次逮捕に至るまでの間右事件につき捜査が継続して行われたことを認めるに足りる証拠はない。

二  本件脅迫事件

1  特捜班は、昭和四四年七月三日沼山サワから、同年八月一五日伊賀酉松から、それぞれ本件脅迫事件について聞込みを得たが、同年一〇月九日に至り被害者沼山喜三郎から右脅迫の被害を受けたとの供述を得、また、同日沼山久雄から、同年一〇月一七日沼山喜三郎の妻ヨシノから、それぞれ右喜三郎の供述を裏付ける供述を得た。

なお、証人長谷川喜八郎、同和田昌治は、いずれも本件脅迫事件の情報を入手したのは昭和四四年八月一五日である旨供述するが、≪証拠省略≫によると、七戸警察署司法警察員石田幸雄が同年七月三日本件殺人事件の聞込捜査に従事中沼山サワから本件脅迫事件について情報を入手し、同日その旨同警察署長に報告していることが明白であり、右供述はいずれも採用することができない。

2  そこで特捜班は、昭和四四年一〇月一七日、前記別紙(一)記載の暴行および脅迫の各被疑事実について逮捕状の請求をし、その発付を受け、同日原告から任意に事情を聴取したが、右各事実について否認していたので右逮捕状を執行し、引き続き右各事実について勾留請求をなし、勾留状の発付を受けて原告を勾留した。

第五第一次逮捕勾留の違法性

一  別件逮捕勾留の違法性

原告は第一次逮捕勾留は違法な別件逮捕勾留である旨主張する。いわゆる「別件逮捕勾留」或いは「違法な別件逮捕勾留」の意義およびその違法性について当裁判所は次のように考える。即ち、ある犯罪の捜査に当り、容疑者と目される者について、まだ証拠資料の収集が十分でなく、令状の請求をなしその発付を受けて逮捕勾留することができない場合に、当初から、専ら、右犯罪捜査のためにその身柄拘束を利用する目的で、偶々令状を請求し得るに足る証拠資料を収集し得た別罪につき令状の発付を受けて逮捕勾留するのは違法な別件逮捕勾留であり法の許容しないところであると解する。そこで、以下、第一次逮捕勾留が右に所謂違法な別件逮捕勾留に該当するか否かにつき判断する。

二  第一次逮捕に至るまでの本件殺人事件および暴行脅迫事件の捜査状況

1  本件殺人事件

(一) ≪証拠省略≫によると、石松のバイクが発見された昭和四四年六月一一日から四日間および同人の死体が発見された同月二七日から翌七月一二日までの約半月間に捜査が集中的に行われ、多くの捜査資料が収集されたが、その後の捜査は思うように進展せず、特捜班は新たな見るべき証拠資料を収集し得なかったことおよび同月一日から同月一〇日までの間に収集された資料はその大部分が原告の前歴、性格、犯行動機、犯行後の動静、資産状態など原告に関する所謂情況証拠であることが認められ、この間他の容疑者に関する資料の収集が見られないことに徴すると、本件暴行事件につき逮捕状請求のなされた七月一一日当時、特捜班は原告を本件殺人事件の最も有力な容疑者と目し、専ら原告に的をしぼって捜査を遂行していたことを推認することができる。従って、右逮捕状請求時において原告の本件殺人容疑はそれ程濃くなかった旨の≪証拠省略≫は到底信用することができない。

(二) ≪証拠省略≫によると、特捜班は、引き続き犯行推定時刻に犯行推定場所を通過したと思われる者につき所謂アリバイ捜査をした結果、同年九月二一日に至り原告のみアリバイが成立せず、しかも他に有力な容疑者を発見することができなかったので、原告が本件殺人事件の犯人であるとの強い心証を抱くに至ったが、その後の捜査にも拘らず、原告と事件とを結びつける客観的物的証拠を得ることができなかったため、第一次逮捕状請求時である同年一〇月一七日当時、本件殺人事件につき原告を被疑者として逮捕状ないし捜索差押許可状の発付を得ることは不可能であるとの判断、換言すると、原告の自白が得られゝば右令状を請求し得るとの判断に到達していたことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。右認定の捜査経過に照らすと、右当時、特捜班が本件殺人事件につき原告の自白を求めていたことを容易に窺い知ることができる。

2  本件暴行脅迫事件

他方、本件暴行脅迫事件の捜査の端緒は、≪証拠省略≫によると、本件殺人事件の聞込捜査の際得られたもので、いずれも、沼山サワが原告は気性が荒く、粗暴であることを示す証左として挙げた、過去における原告の暴力沙汰の一つであることが認められ、当時、これらが比較的軽微な事件とみられていたことは、前記のとおり、特捜班の副本部長和田昌治、捜査主任官の長谷川喜八郎の両名が本件脅迫事件につき昭和四四年七月三日捜査報告を受けながらこれを看過し、同年八月一五日右事件の情報を入手した旨供述していることからも窺われるのみならず、≪証拠省略≫によると、右両事件の捜査は聞込を得てから直ちに開始されたものでなく、僅かに、二回の逮捕状請求の直前にのみ行われているに過ぎないことが明らかである。

3  その他の事情

(一) 特捜班による本件暴行脅迫事件の捜査

≪証拠省略≫によると、昭和四四年七月一一日、および同年一〇月一七日の各逮捕状請求に当り、特捜班は捜査会議を開き原告の逮捕の必要性を検討したが、その際特捜班の捜査主任官長谷川喜八郎警部が原告逮捕の必要を説いた事実ならびに≪証拠省略≫によると、同警部は昭和四四年一〇月一〇日七戸警察署長宛に原告を本件暴行脅迫事件について逮捕する必要がある旨の捜査報告書を提出したが、その際、原告が本件殺人事件の重要な容疑者であり三〇項日に亘って更に解明すべき点があること、右事件は近年稀なる難事件であり同人に対する右事件についての捜査取調も重要である旨併せて報告している事実をそれぞれ認めることができる。右事実によると、本件暴行脅迫事件の捜査は、本件殺人事件の捜査との関連の下に行われたものであることが明らかであり、右認定に反する≪証拠省略≫は措信し難く、特に、右捜査報告書の内容は特捜班の意図即ち第一次逮捕の目的が本件殺人事件につき原告を取調べることにあるのではないかとの疑念を抱かせるに十分である。

(二) 逮捕状の不執行について

(1) 第四の一2に認定したように、捜査官は本件暴行事件につき原告に対する逮捕状の発付を得たが、執行しないまま右逮捕状は有効期間を徒過した。

右逮捕状を執行しなかった理由について、証人長谷川喜八郎は、原告が高血圧で通院中であったこと、自殺するとか警察が恐ろしいとかいっていたことなどを考えた結果である旨、証人和田昌治は、原告が高血圧であったためである旨各供述し、≪証拠省略≫によると、七戸警察署長宛に昭和四四年七月一九日付で原告が同年七月一五日から一七日まで高血圧で上北郡上北町の工藤医院で治療中のため逮捕状の執行が不能であったこと、および同年一〇月八日付で右逮捕状の有効期間経過後は本件殺人事件の捜査が多忙で逮捕取調が長引いた旨各記載された捜査報告書が提出されている事実を認めることができる。

しかしながら、≪証拠省略≫によると、特捜班は昭和四四年七月一二日原告から本件殺人事件につき事情聴取をして供述調書を作成していることが認められ、右事実によると、右日時頃右逮捕状を執行することに格別の支障もなかったことが窺われる。にも拘らず原告が高血圧で通院を始めたとする同月一五日までにこれを執行しなかったこと、また、右逮捕状失効後その更新をなすことは容易であったと想像されるのにこれをなしていないことは理解し難いところである。

なお、右逮捕状の失効後本件殺人事件の捜査が多忙であったことは容易に想像されるところであるが、このことは右逮捕状請求時においても同様であったと考えられるから、不更新の合理的理由とは考えられない。仮に長谷川供述のように、原告に自殺のおそれがあるというのであれば速やかに逮捕状を執行して身柄の確保を図るのが通常であろうし、同人が警察を恐れていたとしてもそのことが逮捕状を執行しないことの理由にならないことは論を俟たない。

そうすると、右逮捕状の執行を妨げる事情は何らなかったというほかはない。

(2) 右に認定した諸事情に先に認定した本件殺人事件についての捜査状況を併せ考えると、特捜班は原告を本件殺人事件の有力な容疑者と考えていたところ、同年七月九日沼山サワから第三の三1(七)認定の供述が得られたので更にその疑いを濃くし、右殺人事件の捜査に利用する目的で翌一〇日、既に同月三日情報を入手していた本件暴行事件の捜査を進め右事件につき逮捕状の発付を得たが、その後同月一二日原告から事情聴取などをしているうちに何らかの事情から捜査方針が変更され、右逮捕状の執行を一時見合わせるに至ったのではないかとの疑いが濃厚である。

4  以上認定の両事件の捜査状況に加え、両事件の罪質、被害法益、社会的影響等いずれの点からみても本件殺人事件の方が重大犯罪であることは明らかであること、ならびに、≪証拠省略≫によると、原告は昭和四七年一月一八日本件暴行脅迫事件につき起訴猶予処分となった事実が認められることなどの諸事実に徴すると、特捜班が、本件殺人事件につき原告を取調べる目的をもって第一次逮捕に及んだことを否定することはできない。そこで、進んで、第一次逮捕勾留の理由の有無ならびにその後の両事件の捜査状況につき検討を加えることにする。

三  第一次逮捕勾留の理由の有無

1  第一次逮捕について

(一) 通常逮捕の要件は、罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由即ち証拠資料に裏付けられた客観的合理的な嫌疑があること(但し、明らかに逮捕の必要がないと認めるときを除く)と解されている。

(二)(1) ≪証拠省略≫によると本件脅迫の、各犯罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があることを認めることができる。

(2) ≪証拠省略≫によると、細井末一郎に対する本件暴行事件は、同一人に対する暴行が反復されているとはいえ、その態様は比較的軽微であると認められるところ、被害者細井の供述によるもその原因の一端は被害者にあることが窺われること、更に、事件発生から相当の日時を経過していること、原告には前科もないことなどを併せ考えると、逮捕の必要性があったか否か大いに疑問のあるところである。他方、≪証拠省略≫によると、沼山喜三郎に対する本件脅迫事件は、土場川土地改良区代議員理事である同人が、災害復旧工事の人夫賃として青森県から同改良区に交付された金員を出動部落民に即時交付しなかったことに因縁をつけて、数回に亘り、右喜三郎方を訪れて、あるいは電話などで同人を難詰したうえ謝罪を要求し、更に、予め用意した謝罪文(念書)への押印を要求したり、同じく予め用意した、同人が不正を働いたという趣旨が記載されているビラを示し、部落内にこれを貼る旨告知するなどの方法で同人を脅迫したという事案で、その手段、態様において相当執拗であり、また、予め謝罪文やビラを用意するなど計画的な面もみられることから、明らかに逮捕の必要性のない事案ということはできない。

そうすると、右両事件を併せた別紙(一)記載の被疑事実につき原告を逮捕する理由があったということができ、以上の認定を覆すに足る証拠はない。

2  第一次勾留について

≪証拠省略≫によると、原告は右逮捕中の取調において沼山喜三郎に対する脅迫事件につきその外形的事実を認めたこと、および沼山民弥から原告の容疑を裏付ける供述が得られたことが認められ、右認定した事実および先に認定した右脅迫事件の態様、性質に鑑みると、右脅迫事件についてはなお、ビラ等の出所、共犯関係の有無、背後関係、犯行の動機、沼山喜三郎の不正行為の存否等につき捜査を尽す余地があったことが窺われ、この事実に、≪証拠省略≫により認められる如く、右脅迫事件の関係人が同一部落に属していて人的なつながりが強く、また、事案の性質上犯罪の成否に係る重要部分が主として関係人の供述に頼らざるを得ないことを併せ考えると、原告を釈放した場合事件の関係人らに働らきかける等の方法で原告の罪責の確定に必要な証拠を隠滅する恐れがあると一応認めることができる。従って、結局、第一次逮捕に続く勾留には理由があったということができる。以上の認定を覆すに足りる証拠はない。

四  第一次逮捕勾留中の両事件の捜査状況

1  取調時間

≪証拠省略≫によると、第一次逮捕勾留中における原告に対する本件暴行脅迫事件および本件殺人事件についての各取調時間は、逮捕当日本件殺人事件について取調がなされている(取調時間については証拠上明らかでない。)外概ね別紙(四)の該当欄記載のとおり、前者につき合計四三時間四〇分、後者につき同四三時間五〇分であることを認めることができる。

なお、右認定の時間は被告主張の別紙(三)記載の取調時間を関係各証拠により訂正したうえ算出したものであるが、取調時間につき被告の主張および右吉田証言と異なる認定をした点は左に記載したとおりである。また、右認定の時間は監房出し入れの時間を基礎とするものであるから実際の取調時間はこれを下廻ると考えられる。

(イ) 昭和四四年一〇月一八日一三時から一七時四〇分まで

証人吉田道雄の証言により本件暴行脅迫事件につき取調べたものと認める。

(ロ) 同月二〇日七時四〇分から九時まで

同証人は右時間を本件暴行脅迫事件についてのみ取調べた旨供述するが、≪証拠省略≫によると同日本件殺人事件についても取調べがなされたことを認めることができるから、右時間は右両事件につき取調べたと認めるのが相当である。

そこで、一応右取調時間に両事件を各四〇分宛取調べたものと推認する。

(当日は勾留請求の日であるから、同日一〇時から同三〇分までは検察官が本件暴行脅迫事件につき取調べたと推認でき、右時間が本件殺人事件の取調べに充てられたとは考えられない。)。

(ハ) 同月二三日九時一〇分から一一時五五分までおよび一三時二〇分から一七時一〇分まで

原告の供述を録音した録音テープの検証の結果により、本件殺人事件につき取調べたものと認める。

(ニ) 同日一八時から二〇時二〇分まで

≪証拠省略≫によると、同日兼平巡査部長が本件暴行事件につき取調べたことが認められるから、右(ハ)に照らし、右時間は右事件の取調べに充てられたものと推認する。

2  取調内容

(一) 本件殺人事件

≪証拠省略≫によると、同年一〇月二三日および同月二五日の本件殺人事件についての取調は事件の細部にわたる極めて詳細、実質的なものであることが、また、≪証拠省略≫によると、第一次逮捕勾留中の本件殺人事件についての原告の供述は否認、自供、否認と変転したことが各認められ、以上の事実に先に認定した取調時間を併せ考えると、第一次逮捕勾留中の本件殺人事件についての取調は全体として細部にわたる実質的本格的な取調であったことを推認することができる。

被告は、右取調は本件暴行脅迫事件の取調の合間にこれに付随併行する形で部分的断片的になされたものである旨主張し、証人長谷川喜八郎はこれに沿う供述をなすが、右認定に照らし到底採用することができず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(二) 本件暴行脅迫事件

≪証拠省略≫によると、原告は第一次逮捕当時本件暴行脅迫の被疑事実を否認していたが、勾留中の取調において両事件につき外形的事実を認め、やがて畧々全面的に自供するに至ったこと、但し、脅迫事件に使用した念書を誰に書かせたかについては供述が転々として定まらなかったこと、他方、原告に対する取調と併行して、ビラ、念書の捜索差押がなされ、また参考人として被害者両名の外、被害者の妻、原告と同行した者、ビラおよび念書を作成した者数名等が取調を受けた事実が認められ、右事実および前記原告に対する取調時間を併せ考えると、第一次逮捕勾留中本件暴行脅迫事件の処理のため必要と思われる実質的捜査が行われたことを認めることができる。

五  以上の事実によると、特捜班において第一次逮捕による原告の身柄拘束を本件殺人事件の捜査に利用する目的を有していたことは推認し得るが、第一次逮捕勾留の要件の充足および右勾留中の本件暴行脅迫事件の取調の実態に鑑みると、特捜班が当初から本件暴行脅迫事件に藉口し、専ら、本件殺人事件につき原告を取調べる目的をもって第一次逮捕に及んだとまでにわかに断定するを得ない。よって、第一次逮捕勾留が違法な別件逮捕勾留であるとの原告の主張は採用することができない。

第六第二次逮捕勾留の違法性

一  第一次逮捕勾留中の本件殺人事件取調の違法性

1  別件逮捕勾留中における余罪取調の方法ならびに限度

(一) 逮捕または勾留されている被疑者は、捜査官の出頭要求や取調に対しこれを拒否し或いは出頭後自己の意思により退去することはできないとされているが(刑事訴訟法一九八条一項参照)、右のような取調方法を受忍しなければならないのは(以下、取調受忍義務という。)原則として逮捕勾留の基礎となっている被疑事実(以下甲罪という)につき取調を受ける場合に限られると解すべきであり、従って、被疑者が右事実と関係のない所謂余罪(以下乙罪という)について取調を受ける場合には、身柄の拘束を受けていない被疑者と同様、捜査官の出頭要求を拒み出頭後何時でも退去して自己の居房に引きあげることができ、ただ例外的に乙罪が甲罪と実体的に密接な関係があるなどの特別な事情のある場合に甲罪の捜査と併行してこれに付随する形で行われる場合に限り取調受忍義務を負うものと解すべきである(以下、便宜上取調受忍義務を伴う捜査を強制捜査、それ以外の捜査を任意捜査と略称する。)。

何となれば、一旦、ある被疑事実につき逮捕勾留された被疑者が、その身柄拘束中であれば他のいかなる被疑事実についても無制限に強制捜査を受忍しなければならないとすれば、刑事訴訟法が被疑者の逮捕勾留に関し所謂令状主義の原則を採用して被疑事実ごとにその要否につき厳格な司法審査を要求し、捜査過程における被疑者の権利を保障している趣旨を没却し、ひいては、逮捕状、勾留状の発付を得るに足りる証拠資料を収集し得なかった乙罪(通常は重大事犯)について強制捜査をする目的で、偶々、逮捕状、勾留状の発付を得るに足る捜査資料の具備した甲罪により逮捕勾留し、その身柄拘束を利用するという違法な捜査方法を助長するおそれがあるからである。

(二) 従って、甲罪による逮捕勾留自体が適法であるとしても、右逮捕勾留中の被疑者に対し乙罪につきどの程度の取調が可能であるかについては、乙罪が甲罪と実体的に密接な関係にあるとき、同種余罪であるとき、甲罪に比して軽微な事案であるときなど甲罪処理のため必要であり、或いは甲罪とともに処理することが相当である場合甲罪の捜査と併行しこれに付随して行われる場合に限り適法であると解すべきである。

もとより、被疑者の任意の供述による取調は肯認し得るところであるが、被疑者が甲罪につき逮捕勾留中に乙罪につき取調を受けた場合、その取調が任意捜査としてのそれであるか、その限度を超えて強制捜査としての性格をも帯有するに至ったかは形式に囚われることなく捜査方法の実体、とりわけ取調方法、取調時間、取調の内容が事実関係の詳細にまで及んでいるか否か、供述拒否権や弁護人選任権、乙罪について取調受忍義務のないことを告知したか否かなどを総合して判断すべきである。

2  これを本件についてみるに、本件殺人事件は本件暴行脅迫事件と実体的関連性はなく、本件暴行脅迫事件の処理に本件殺人事件の捜査が必要でないことは明らかであり、また、前記第五の四に認定のとおり、本件殺人事件の取調は、その所要時間、取調内容に徴し本件暴行脅迫事件の捜査に付随して行われたものとは到底認められないから、原告に対する本件殺人事件の取調は余罪取調の限度を超えるものといわなければならない。そして、≪証拠省略≫によると、捜査官は原告を本件殺人事件について取調べる際、供述拒否権のあることを告知していることを認めることができるが、本件殺人事件について弁護人選任権のあること、取調受忍義務のないことを各告知したことを認めるに足る証拠はなく、前記のとおり、本件暴行脅迫事件につきまだ自供が得られていない第一次逮捕の当日本件殺人事件について取調がなされていること、原告の供述は否認、自供、否認と変転し結局否認に終ったこと、これらの事実に前記取調時間、取調内容を併せ考えると、本件殺人事件の取調が原告の任意の供述に基づく任意捜査に属するものとは到底認め難い。これを要するに、第一次逮捕勾留中の原告に対する本件殺人事件についての取調は強制捜査としての実体を有するもので、余罪取調の限度を超えた違法なものというべきである。

二  第一次逮捕勾留中作成された本件殺人事件についての供述調書の証拠能力

そこで更に、第一次逮捕勾留中作成された本件殺人事件についての供述調書の証拠能力について考える。刑事司法の分野において実体的真実は適法公正な手続によってのみ発見されなければならず、右適正手続の重大な違背により収集された証拠は証拠能力を許容されないと解するのが相当である。蓋し、このように重大な手続違背により収集された証拠に証拠能力を与えるならば、畢竟、採証過程における重大な違法を是認し、これを助長する結果となり、かくては適正手続の要請が形骸と化すおそれがあるからである。而して、逮捕勾留中の被疑者に対し前記余罪取調の限度を超えてなされた取調は、既に述べたとおり、捜査手続の基本である令状主義の要請を潜脱するものであるから重大な手続違背であり、従って、右取調に基づいて作成された被疑者の供述調書は証拠能力を欠くといわざるを得ない。よって、第一次逮捕勾留中に本件殺人事件につき作成された原告の供述調書は証拠能力がない。

三  ≪証拠省略≫によると、特捜班は、第二次逮捕勾留時において前記供述調書を除き、本件殺人事件につき原告を被疑者として逮捕状、勾留状の発付を得るに足る資料を収集していなかったことが認められ、この認定を覆すに足る証拠はない。

そうすると、前記供述調書に証拠能力を認めることができない以上、第二次逮捕勾留は理由を欠き違法であるといわざるを得ない。

第七報道機関に対する公表の違法性

原告は請求原因第三の1記載のごとく主張するが、本件全証拠によるも右主張事実を認めることはできない。

なお、≪証拠省略≫によると、昭和四四年一一月二〇日付日刊新聞東奥日報紙朝刊に青森県警察本部阿部刑事部長が「警察としては真犯人であるという心理状態を汲み取っている。」との談話を発表した旨の報道がなされていることを認めることができるが、右認定の事実から直ちに同部長が右記載のような談話を発表した事実を推認することはできない。

そうすると、この点に関する原告の主張は理由がない。

第八責任原因

第六に述べたとおり、第一次逮捕勾留中の本件殺人事件の取調およびこれに続く二三日間におよぶ第二次逮捕勾留は違法なものであるところ、右の違法捜査をなすにつき右捜査を職務執行行為として担当した特捜班を構成する警察官に故意または過失があったことは先に認定ところから明らかである。そして、右警察官らが被告の公権力に当る公務員であることは当事者間に争いがないから、被告は国家賠償法一条一項に基づき右違法な捜査により原告に生じた損害を賠償する責任がある。

第九損害

一  逸失利益

1(一)  原告が第二次逮捕勾留により昭和四四年一〇月二八日から同年一一月一九日まで二三日間その身柄を拘束されたことは当事者間に争いがなく、これに先立つ第一次逮捕勾留期間中の本件殺人事件の取調が違法であることは既にみたとおりである。

(二)  原告は右第一次・第二次の逮捕勾留およびその間の取調により反応性うつ病に罹患し、同年一一月二〇日から同年一二月五日まで十和田市立病院に入院した旨主張する。

(1) ≪証拠省略≫によると、原告が昭和四四年一一月二〇日右病院医師松本義孝から反応性うつ病と診断され右主張の期間同病院に入院した事実を認めることができる。

(2) しかし右各証拠によると、同医師が右のような診断を下したのは、原告が頭重、不眠、耳鳴、全身倦怠感、易疲労性(疲れ易いこと)などを訴えていたことに加え、その表情に活気がなく変化に乏しく沈んだ感じで、元気、活気、意欲のないことが観察されたためであること、同医師は右診断時に原告が殺人事件の容疑者として三〇日間位拘禁されていたことは知っていたが、同人の家族から右事件のことについては触れないで欲しい旨の強い希望があったため、拘禁中の状況については詳しく尋ねなかったこと、原告の抑うつ状態は極めて軽度で本来のうつ病の場合にみられるような悲哀感や死を望むとかいった症状はみられなかったこと、また、治療をするにしても外来治療で十分であると考えられたが、原告やその家族が帰宅すれば周囲から変な目でみられたり、ゆっくり休養できないから是非入院させて欲しい旨強く要望したので右要望に沿う意味で特別に入院加療することになったこと、原告は入院後睡眠状態は良好で食欲もあったこと、同年一一月二四日までは寝ていることが多かったが、これは突然特殊な病院(精神科)に入院したことも大いに影響していると考えられること、病院の雰囲気に慣れてきた同月二五日以降は抑うつ状態は殆んどみられず、他の患者と交ったりテレビを見たりして過ごすようになり、そのまま退院することになったこと、の各事実を認めることができ、この認定を左右するに足る証拠はない。

右認定した事実に照らし考えるに、原告が本件一連の身柄拘束により心身に相当程度の圧迫を受けて右認定の診断の基礎となった諸症状を呈するようになったことを認めることができるが、右のような諸症状は三四日間にもおよぶ身柄の拘束を受けたような場合には多かれ少なかれ一時的に生じる症状であると考えることができ、また、原告の入院も治療のためというよりはむしろ殺人事件の容疑者として世間の人々から浴びる好奇の目から逃れ静養するのが主目的であったと考えられるから、原告の前記症状も一時的なものであり、入院治療までを必要とする状態であったとはにわかに断じ難い。結局、(一)認定の事実から直ちに第一次逮捕勾留中の違法な取調および第二次逮捕勾留による身柄拘束と右入院治療との間に因果関係を認めることはできない。

2  そこで進んで1(一)認定の身柄拘束による原告の逸失利益につき考えるに、≪証拠省略≫によると、原告方では原告夫婦およびその長男長一夫婦の四人で農作業に従事していることが認められるが、農業経営者の場合は給与所得者と異なり休業の期間に応じて算術的に収入が減じるわけではないから、身柄拘束期間中の収益を年間の総収入に対する身柄拘束期間の割合によって算出しても、これを直ちに逸失利益と考えることはできない。そして、右身柄拘束期間中原告がいかなる作業に従事できず、そのためどの程度の収入が減じたかにつき何ら主張立証がない。よって原告の逸失利益に関する請求は理由がない。

二  入院治療費

一(二)に認定したように、原告に対する違法な取調ないしは身柄拘束と原告の入院治療には因果関係を認めることができないから、入院治療費の請求はその余の点につき判断するまでもなく失当である。

三  慰藉料

先に認定した第一次逮捕勾留中の違法な取調およびこれに続く二三日間にわたる違法な身柄拘束により、原告が多大の精神的苦痛を蒙ったことは想像に難くなく、原告の身上、経歴等本件に現われた一切の事情を考慮すると、慰藉料として金四〇万円が相当であると考える。

なお、原告は本訴請求金額の内訳として慰藉料金三〇万円を主張するが、同一の取調、身柄拘束を理由とする財産上の損害と精神上の損害は原因事実および被侵害利益を共通にするものであるからその賠償請求権は一個であり、訴訟上右両者の損害賠償を併せて請求する場合でも訴訟物は一個であると解すべきである。従って全体として原告の請求総額を超えない限り各賠償請求につき原告の申立を超えて認容することも許されると解すべきものである。

第一〇結論

以上説示のとおりであるから、原告の本訴請求は金四〇万円およびこれに対する本件不法行為の日の後である昭和四五年三月七日以降完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用し、なお、仮執行免脱の宣言の申立は相当でないからこれを却下することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 蘒原孟 裁判官 石田敏明)

裁判官 鷺岡康雄は転任のため署名捺印することができない。裁判長裁判官 蘒原孟

<以下省略>

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